[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
従姉妹が幼稚園の先生になったと聞いて、嬉しかった。
僕は幼稚園が大好きだったし、幼稚園の先生の事も大好きだった。
だから、「幼稚園の先生」と聞くと、ある種、尊敬の気持ちを抱く。
僕の知人には「元・幼稚園の先生」もいるが、その子の話によれば、幼稚園の先生や保母さんはストレスがたまるから、実は喫煙者が多いらしい。
そこで、その話を従姉妹にぶつけてみた。
しかし、
「うちの幼稚園には、喫煙者は一人もいない」
という事だったので、安心した。
大好きだった幼稚園の先生が、実は裏でタバコを吸っていたというのでは、イメージがくずれてしまう。例えるなら、「サザエさんが、実は喫煙者だった」みたいなものだ。
僕は今でも、幼稚園の頃の楽しかった思い出を、色々思い出す事ができる。
お歌の時間では、他の子の2倍位大きな声で歌って、先生に褒められていた。
だから、幼稚園の先生と言えば、「お歌」のイメージがある。そこで、その「元・幼稚園の先生」に、歌を歌ってくれるように頼んだ事がある。しかし、その子曰く、
「幼稚園の先生は、皆が思っているほど歌は歌わない。」
という事で、歌は歌ってくれなかった。これがイメージと現実との違いというものだろうか。
まあ、それは良いとして、
プールで泳いだ事や、楽しいお弁当の時間の事も思い出す事ができる。
お昼は弁当持参で、登園時に保温釜みたいな棚にお弁当を預けて、お弁当を温めるシステムになっていた。
ところがある日、お弁当の時間になって、自分のお弁当を取りにいったら、何かのはずみで僕のお弁当が落ちて中身がこぼれ、台無しになっていた。
それを見た僕は、泣いてしまった。しかし担任の先生がすぐ代わりのパンを用意してくれて慰めてくれた。幼稚園の先生は、本当にやさしかった。
あと、お昼寝の時間も好きだった。僕は活発なタイプだったので、よくケンカもした。その分エネルギーを消耗するので、お昼寝の時間には、もう待ちきれないという感じで即効で眠りにおちていた。
大好きな女の子もいたし、大の仲良しもいた。だから、とても楽しい思い出が一杯の幼稚園時代。
しかし、そのなかに、母親の自転車に乗せられて、泣きながら幼稚園に通わされていた思い出がある。ちょっと心に突き刺さっていたが、何故そうだったのかは、大人になるまで解らなかった。
楽しい思い出と、泣きながら通っていた記憶が繋がらなかったのだ。
でも、大学を出たくらいの時、昔話の折に、親に聞かされて、やっとその意味が解った。
現地の子の言葉を理解できなかったのだ。
皆が何を言っているかが、わからなかったのだ。
東北弁だから。
だから、幼稚園に行きたくなかったのだ。
東北弁を理解できないのは無理のない話である。テレビでも必ず字幕スーパー付く。
それで、親が自転車で幼稚園まで連れて行って、先生に預けようとするのだが、
「○○先生のバカ!」
と言って、先生を叩いて、母親から引き離されないように、必死に抵抗していたらしい。
そういえば、今でもなんとなく思い出せる。その後も、幼稚園でずっと泣きじゃくっていたような記憶がある。暫くそんな日々が続いた。