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関西に来て半年くらいが経った頃、僕はある試みにチャレンジする事にした。
その頃は、皆に、
「なまりがなくなったな」
と言われる事も多くなっていた。
関西弁を大分マスターしてきたのだ。
しかし、国語の時間の朗読に関しては、全くもって自信をなくしてしまっていた。関西弁も標準語も、その体系がぐちゃぐちゃになって、わからなくなってしまったのである。一種のスランプだ。
そこで僕が、その苦境を打破するために考案したのが、
「棒読み作戦」
だった。
すなわち、国語の時間に朗読で指名された際には、小声で早口で棒読みをするのだ。三流役者がそうするように、感情を込めずに、ただひたすら早く次に進みましょうという感じで、やる気なさげに棒読みをするのだ。
この方法なら、名詞のイントネーションが関西弁の場合ではどうだったか、なんて事を考えながら読む必要がない。機械的に突っ走る事が出来る。
それと、クラスの皆が「棒読み」に気をとられる。棒読みキャラだから、棒読みしているのだろう、棒読みするのが好きだから、棒読みしているのだろう、と皆は思うはずだ。
しかも、東北弁風だとか、東京弁風だとか、関西弁風だとかは思われない。棒読み風であるだけなのだ。だから、言葉の違いから、育ちを詮索されて、田舎者の烙印を押されて笑われる事もないという事になる。
実際の結果はどうだったか。
惨敗だった。
棒読みをした瞬間に、クラスを爆笑の渦に巻き込んでしまった。しかし僕は、その後も強引に棒読みを続けた。どちらにしても、関西弁風には朗読する事はできない。標準語でも笑われるし、どっちつかずで読んでも、なまりと認識されるだけだ。僕にはそうするしかなかった。クラスの爆笑は続いた。
昼休みになり、友達と弁当を食べた。友達にも、苦笑された。その話題は一言、ニ言で終わったのが、僕にとっての、せめてもの救いだった。友達も気を遣ってくれたのだろう。その心使いが嬉しかった。
関西弁マイスターになるための道のりは、まだまだ遠かった。