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昔よく、明石家さんまがラジオなどで言っていた。
「関西人は、ポルシェが似合わない。」と。
何故なら、ポルシェに乗るには、その人自身がかっこ良い事が求められる。しかし、そのポルシェから、どんなかっこ良い人が現れるのかと思って見ていると、ドアを開けて車から降りたとたん、
「どないや?もうかってまっか?」
となってしまうのが、関西人だ。だから、関西人はポルシェが似合わない。これが、明石家さんまの主な主張だった。
僕としては、やっと援軍を得たような気分だった。
東京の人が、関西弁について、とやかく言うのは角がたつ。しかしながら、仕事で普段から東京と大阪を往復している、関西出身の明石家さんまがそう言うのだから、妥当性があって公平感もある。しかも、さんまは、誰よりも日本語を知り尽くしている日本語の達人だ。言葉が周りに与える影響性を、リアルタイムで感じ取る事が出来る立場にいて、しかも、そのしゃべる事だけで億を稼ぐ、日本語のプロなのだ。そのさんまが、関西の人気ラジオ番組で、あえて関西に向かってそう発言しているのだった。
僕は、関西弁に少々うんざりしていた。
大人が転勤で関西に行っても、関西弁を使わなければならないわけではない。
しかし、子供の世界は違うのだ。
彼らは、厳格なまでに完璧である事を求めてくる。もっとおおらかに、お互いの言葉を認めれば良いと思うのだが、何かにつけて僕の言葉を「なまっている」と指摘し、関西弁を押し付けてくるのだ。これは、完璧主義のポルシェのようでもあるが、ある意味、宗教だと言っても良い。
しかしそれを傍から見たとき、その言葉は果たして真似したくなる言葉なのかと僕が思う気持ちを、さんまは代弁してくれた。
そもそも方言の問題は、地方から首都圏への転校なら、何の気苦労もない。
なまっていると言われれば、その指摘は100%正しい。なまりをなくすために、精進するのみとなる。目指す方向性に迷いはない。指摘されればされるほど、ジャパニーズ・スタンダードに近づいていく。
方言には、適用出来る年齢というものもあるだろう。
小学校低学年位までなら、無意識にすんなり受け入れられると思う。しかし、それ以上の年齢になってくると、考えながら意識的に覚えるようになる。そもそも、その言葉を感覚的に好きなのかという事も重要だ。
たまに東京の人でも、関西弁が好きだという人に出くわす事もあるが、僕の場合は、もともとそういう感覚はなかった。どちらかと言えば、関西弁は遠い世界の言葉だと思っていた。自分がしゃべるには、相応しくない言葉だと思っていた。
そしてその考えは、さんまの発言によって、より強固になっていった。