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日本語の一人称は難しい。
女性の場合は、一人称に自分の名前(ファーストネーム)を用いるケースもある。しかし、大人になれば大体「私」に落ち着いているようだ。
一方、男性の場合は、なかなか相応しい言葉がない。
公的な場や、かしこまった場なら「私」で良いだろう。しかし、もうちょっとくだけたシチュエーションや、プライベートな場ではどうしたものか。
いい年したおじさんが、「僕」と言うのは、もうひとつしっくりこない気がする。かといって「俺」では、慇懃無礼な感じもある。では「ワイ」か?
清原和博が、フライデーなどで一人称を使った記事を書かれる際は、一人称に「ワイ」が用いられる。しかし清原は、実際には「ワイ」は使わないらしい。これは、大阪府岸和田市出身の清原に対し、大阪の一人称=ワイというイメージで、記者が面白がって書いているのだ。では、関西の人にとって「ワイ」という一人称は、東京の人にとっての「オイラ」のような、ローカルで過去の言葉なのかと言うと、そんな事はない。
関西では、「ワイ」はメジャーだ。「ワイ」という言葉にはインパクトもある。だから、誰が最初に、僕の前で「ワイ」という言葉を使ったかも覚えている。
僕の住んでいた地域の「ワイ」の使用頻度は、小学生で50%位だったように思う。それ以外の人は主に「俺」を使っていた。こういうのは、アニメの主人公ややスポーツ選手などの影響も大きいのだろう。つまり、周りの友達に影響されつつも、自分のアイドルが使っている一人称を真似る部分もあるのだ。
しかし、中学生以降では、「ワイ」の使用率は下がっていったように思われた。人間は自我に目覚めると、自分の言葉使いにも注意を払うようになる。無意識の支配下にあった言葉使いにも、意識的にコントロールする部分が出始めるのだ。
関西ローカルな部分を誇りに思い、それが逆にかっこ良いと思うか、あるいはスマートな東京流を受け入れるか、各自がそういう判断を行っているわけである。清原も、「ワイ」は自分に相応しい言葉だとは思っていないから使っていないのだ。
こういう選択は、各自の自己判断にまかされれば良いと思う。
方言には、もっと柔軟性があった方が良い。方言は、強要されるべきものではない。
その方が、あらゆる人にとって住み易い世の中となる。