[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
このブログをちらっと読んで、パッと去っていく人もいるかもしれない。
だから、結論のうちのひとつは、先に言っておこうと思う。
「友達がいるという事は、本当に素晴らしい」と。
当たり前の事を言うな、と思った人もいるかもしれない。でも僕は本当にそう思う。
特に「幼なじみ」の友達がいる人は、本当に羨ましい。
そういう人は、幼稚園や小学校の頃に、天真爛漫に一緒にふざけあった友達と、今でも楽しく話をしたり、出かけたり出来るのだ。
時には、昔の思い出話に花を咲かせたりしながら、楽しい時を過ごせる。
いつも、目の前の友達に、過去をオーバーラップさせ、そして、無邪気だった頃の自分も同時に思い出す事ができるのだ。
それは、とてつもなく素晴らしい事ではないだろうか?
例えて言うとするならば、こういう事だ。
親戚の子供というものは、かわいい。その子が赤ちゃんだった頃の事も知っていて、抱っこしてあげたり、花火をして遊んであげたりした記憶がある場合だと、その子が20歳になったりすると、本当に愛しい。可愛い。ギュッとハグしたくなる。あの感じと一緒だ。幼なじみの友達とは、そういうものだ。
と言っても、僕は知らない。僕に幼友達はいないから、想像で語っているに過ぎない。
一応断っておくが、僕が友達が出来ない、内気なタイプだったかというと、そういう訳ではない。いつだって、僕はクラスの学級委員長を務めるタイプだったし、大好きな友達も一杯いた。
いずれにしても、僕は幼友達がいる人が羨ましい。他人を羨ましがる事、ないものねだりをする事は、あまり良くないことかもしれないが、僕は実際にそう思う。だから会社が忙しいからとか、だんだん疎遠になって等と言わないで、幼友達を、大切にして欲しい。友達関係を維持するためのツールにも、今は恵まれている。携帯電話やメールやインターネットなんて便利なものもある。
これからも、新しい友達はできるかもしれないが、新しい幼友達はつくる事ができない。
それで、友達というと、僕がまず思い出すのが、中学3年生の時の事だ。
ある日、虫の好かないやつに、とても傷つく事を言われた。そしたら、周りもドッと笑った。
すごく悔しかった。
でも、何の反論もできなかった。
僕はただ屈するしかなかった。
あの時ほど、転校の事を恨んだ事はなかった。
何故、自分がこんな事で苦しみ、辱めを受けなければならないんだろうと思った。
すごい落ち込んだ。
亀田兄弟なんかの落ち込みの比じゃない。
そしたら、ある友達が、
「一緒に帰ろうよ。」
と、言ってくれた。
お互いの家は180度反対方向なのだが、学校から僕の家まで一緒に来てくれて、それから、自転車でその友達の家に一緒に行った事を覚えている。
友達の家で、何を話したのだろう。まあ、前から親友だったから、おやつを食べながら、音楽の話とかをしたように思う。
その友達は、僕が傷ついた話題の事には何も触れなかった。
ただ、いつも通り、にこにこと接してくれた。
それが嬉しかった。
中学生だから、口に出して礼を言ったりはしなかったし、僕はいつも通りを装っていた。
悩みの相談とか、そんなこっ恥ずかしい会話は一切無かった。でも、彼という存在自体に、励まされた。たった一人でも、自分の味方がいてくれるという事実を知るだけで、救われた。
彼がいなければ、今の僕が存在していたかどうかも分からない。誰にもぶつける事の出来ない、怒りと悲しみが頂点に達して、どうにかなっていたかもしれない。
あの頃の悔しさ、そして彼の優しさを思い出すと、今でも涙が溢れ出る。