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誰しも、日本語の勘違いはあると思う。
僕が覚えている例では、
「弱」、「強」という言葉。
この言葉を数字の後ろにつけて使った場合には、「弱」が端数を切り上げた事を意味し、「強」は端数を切り捨てた事を意味する。したがって、100弱なら100を少し下回る数字、100強なら100を少し上回る数字を意味する。
ところが僕は、100弱は、「100+少なめにプラス」、
100強は、「100+多めにプラス」だと思っていた。
何故そういう勘違いをしていたかというと、「弱」には微力ながらも「プラス」のイメージがあったからだ。コタツの「弱」のパワーは、弱いけど確かに僕を温めてくれた。だから、「弱」という「プラス」の言葉を足してマイナスを意味する語感が腑に落ちるまで、少々時間が掛かった。本来であれば、「100減」とか、「100未」等の言葉の方が相応しいのに、などと思ったりもする。
こういった間違いに気付くケースは、大抵人との係わり合いがあったりする。他人に指摘される事もあるし、人の誤法に気付いておかしいなと思い、念のため辞書を調べてみたら、自分の方が間違っていたとか。
そういえば、小学校6年生の時にこんな事があった。
転校してきて間もない時期だったので、意味の解らない現地特有の方言に遭遇する事がよくあった。そういう時は、友達にすぐ聞くわけだが、そうすると皆親切に教えてくれた。
ある時僕が、「チャチャを入れて~」という表現を使っていたら、「アホだな、チャチャって何だ。アイドル・グループの名前じゃあるまいし。正しい日本語はチャチだよ。」という意味の事を笑顔で言われた。間違いを指摘される事は恥ずかしい事だ。顔がポッとした。
しかし、家に帰って念のため辞書を調べてみたら、ちゃんとあるじゃないか。
茶々を入れる。ふざけてじゃまをすることだ。
あのやろう、茶々を入れて、間違った日本語を教えやがって、と思った。
しかし問題なのは、ローカルではその間違った日本語が正しいと言う事だ。彼の指摘してくれた言葉も記憶しておく必要がある。
だから、僕がすべき事は幾つかあった。現地の言葉を覚える事と、標準語も同時に確認する事。古い方言も整理していかなければならない。
いずれにしても、人が機嫌よく話している時に話の腰を折られて、訛っているだの、間違っているだのと指摘される事は、気分の良い事ではない。挙句の果てには、その指摘自体が間違っているわけだから、いい加減うんざりした。