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天職と適職は、職業の選択においてよく語られるテーマだ。
スピリチュアルカウンセラーの江原啓之氏は、「天職とは、自分が好きな事、やりたい事。適職は、生きていくための収入が得られる仕事」だとしている。
私が天職や適職といった職業選択の難しさについて、最初に考えさせられたのは、小学校高学年の時だ。
その時の国語の教科書に出てきたのが、
「顔を苦痛にゆがませて演奏するオーケストラ団員」の話だった。
なんでも、そのオーケストラ団員にとっては、演奏をする事が苦痛でしようがないとの事で、その辛さが思わず顔の表情にも出てしまっていたというものだった。
その団員にとっては、退屈で飽きてしまった曲を何百回、何千回目にもわたって演奏し、耳にする事が苦痛だったのだ。
こういう事は、プロのミュージシャン、アーティストによくある話だ。
観客は、コンサートで往年のヒット曲を求めるが、当のミュージシャンにとっては、その演奏し飽きたヒット曲を演奏するのは大変な苦痛でもある。だから敢えて、演奏曲のリストからそのヒット曲を除外するというケースは、国内・国外のミュージシャンを問わずよくある話だ。
このミュージシャンという職業は、「天職」として選択する人が多いだろう。
自分が得意で好きな事でお金を稼げて、これ以上に良い事はない。
そう思って、その職業に就くのだが、上記のように苦痛に顔が歪むケースも出てくる訳だ。
その結果、大好きな趣味でもあった音楽が、大嫌いになっていく事もあるわけだ。そういう状況は、その人にとって幸か不幸か。ちょっと微妙であろう。
ある社長は、その職業は「別に好きでもなんでもない。」と言う。
好きなことは他にあるし、趣味も他の分野にあると言う。そして自分の好きな事は、職業に選択すべきでは無いと言い切る。
ただ、その意見は額面通りに捉えて良いか、考えてみる必要があると思う。
その社長は、その職業は好きではないと言いつつも、仕事はプロフェッショナルで、技術も理論も超一流で、日本一を自負している。
何故そういう事が可能かといえば、社長個人の努力や意志の強さ、負けん気の強さもあると思うが、その職業自体が、「情熱を燃やして打ち込むに堪える仕事」であった事は間違いない。
人は大嫌いな仕事に情熱を燃やす事はできない。
しかしそれは、趣味とはまた違うという事だ。
アンドリュー・カーネギーは、「職業はなんでもいい、ただ第一人者たるを心掛けよ。」と言っている。
ベッドフォードは、「命じられた仕事はなんでもしろ。生き生きと嬉しそうに、熱心にするのだ。それが済んだら、すぐに他に仕事がないか見回すのだ。」と言っている。
(「人生を創る言葉」渡部 昇一より)
実は、偉人や成功者達が語る職業観は、それぞれ違う部分がある。これは、その人が成しえた成功の度合いによっても違ってくるのだろう。しかし、そこにあえて共通項を見出すとすれば、
「将来に渡って第一人者たらんと、情熱を注いでいく事ができる職業」
それが適職だと私は考えている。