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死とは

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彼女は何故、転職で前職の1.5倍もの年収を手にする事ができたのか。
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2005年の交通事故死者数は、6,871人、交通事故被害者数は、1,337,559人だ。(日本損害保険協会

しかし、この死亡者数は24時間以内に亡くなられた方の数なので、これに30日以内に亡くなられた方の数を加えると、8,492名となる。(交通安全白書

一方、平成18年10月時の日本の人口概算は、1億2775万人なので、(人口推計月報

そこからパーセンテージを求めると、

交通事故で死亡する確率は、8492人/1億2775万人=0.000066473=10万分の6.6、交通事故の被害者になる確率は、1,337,559人/1億2775万人=0.0104=約百分の1となる。

これを人生80年と考えた場合、その数値に80をかける事になる。よって、交通事故で死亡する生涯確率は、0.0053=約千分の5=0.5%。交通事故でケガをする生涯確率は、0.8376で=100分の83=83%と、極めて高い数値を示す。

この事から、交通事故で毎年多くの方が、その尊い命を亡くしている事が分かる。

しかし、それよりも問題な事がある。

それは、自殺者数である。

平成17年の自殺者数は32,552人であり、(T-PEC

その数は、交通事故者数の、実に3.8倍にのぼる。

これを同様に、日本の人口からパーセンテージを求めると、32,552人/1億2775万人=0.000254=1万人中2.5人。

人生80年で考えると、0.0203=2%=100人中2人となる。知り合いが100人いるとしたら、そのうち2人は自殺する可能性があるという事だ。これは大変な事である。

死を望まない、不慮の事故で亡くなられた方が数多くいる一方で、自ら死を選んだ人が、その3.8倍もいるのだ。しかも、平成10年以降、自殺者数が激増している。

そして、この自殺率は、先進国中、最も高い。(図録・自殺率の国際比較

この原因を格差社会に求める人もいるかもしれないが、その根本原因は、日本の敗戦にある。日本は、敗戦によるアメリカの支配によって、精神的支柱を失ってしまった。これは、アメリカがとった、日本を弱くするための戦略である。

ただ、それよりも重要な事がある。それは、「知らない事」だ。そして、知ろうとする努力をしない事だ。

借金を苦に自殺された方も多い事だろう。しかし法治国家の日本では、必要最低限の人間らしい生活を送る事が、憲法の基、保障されている。しかしこの情報は、ネット上を探し回っても手に入らない。弁護士に相談しても、その事は教えてくれない。そうすると、マージンが発生しなくなるからだ。

だから、借金で首が回らなくなった人は、役所に行けば良い。ところが、残念な事に、この事は極秘にされている。だから、要領よく行かないと、そんな制度はない、と言われるかもしれない。あまり公にすると、その事を悪用する人も出てくるからだ。

いずれにしても、借金があっても、借金取りに怯えながら生活をする必要はないのだ。法律が保護してくれる。借金取りは、指一本触れられない。臓器を差し出す必要も無い。ましてや、自殺する必要などないのだ。

これは、知っているか知らないかの問題だ。

そしてもっと重要な、「知らない事」の問題がある。

死んでしまえば全てが終わりなのだとしたら、楽な方を選ぶ人が多く出てくるのは、当然の事だ。学校教育で教わる唯物論的思想では、生きる目的を見い出す事は出来ない。この世の中で、その生きる意味を教える事のできる先生が、一体何人いるというのだろう。

しかし、知らない事は、時として自身を窮地に陥れ、罪になる事がある。

どんな良い情報も、嘘だと否定してしまう事はできる。ところが、NOの可能性ばかりを追求しても、生産的な人生を送ることは出来ない。否定的な事ばかりを考える人は、否定的な人生にたどりつく。

だから我々は、決断して信じるという事が必要となる。

愛、友情、信頼、尊敬、幸せ。

人生で大切なものは、信じることでしか得られない事に、やがて気が付く。

ただ幸いな事に、盲目的に信じろとは、言われないのが普通だ。断片的な証拠は、最低限提示されるようになっている。それが、この世の中の仕組みというものだ。

このサイトを見て、自殺を思いとどまる人が一人でもでたとしたら、それは素晴らしい事だ。そしたら、このサイトをつくった意味があったという事になる。

そのために、2006年10月19日放送のアンビリバボーの内容を記述する事にする。

・・・・時は2006年9月。

東京の南方1000Km、小笠原諸島の父島。

そこに、一組のアメリカ人家族の姿があった。

ジェームズ、8歳。

ジェームズの父親、ブルース・レイニンガー。

妻のアンドレア。

彼らは、ルイジアナ州・ラファイエットに6年前に引っ越してきた。

ところが引越しを機に、息子のジェームズが、毎晩ひどい悪夢にうなされるようになった。

「熱い、焼ける。」

「もうだめだ、落ちる。」

「脱出できない。」

そのうなされ方は、尋常ではなかった。まるで、映画のエクソシストに登場する悪魔にでも取り付かれてしまったかのようだった。これは、祟りのある家にでも、引っ越してきてしまったという事なのだろうか。

そこで夫妻は、その事を児童心理にも詳しいセラピストのキャロル・ボウマンに相談する事にした。

アメリカでは、サイコセラピー(精神療法、心理療法)は、学問、職業として1960年代に確立されている。そして、毎年2,000万人以上がセラピーを受けているともいわれる。この事は、アメリカ人が、自己改善に熱心な事とも関係があるようだ。主流は、セラピストとの会話を主眼にしたトークセラピーとなっている。

セラピストのキャロル・ボウマンから夫妻へのアドバイスは、「ジェームズの言う事を無視しないようにし、言う事に積極的に耳を傾けるように」というものだった。

そこで父親のブルースは、息子のジェームズの言う事を聞き漏らさないように努めた。

すると、ジェームズは、意味不明の事を語った。

「コルセアは、本当に世話が焼けるんだ。」

「コルセアは、すぐ左に傾くんだ。」

「コルセアは、よくパンクするんだ。」

ブルースはジェームズに、前の晩に見た夢の内容についても尋ねるようにした。

「ナトマ」という単語が出てきた。

飛行機に乗ったが、すぐに落ちる夢だったとも、ジェームズは語った。

そこで、何か解決の糸口が見つかるかもしれないと思い、ジェームズを航空博物館に連れて行く事にした。すると彼は、戦闘機に異常に興味を示した。全く帰ろうとしないのだった。

それからジェームズは、おもちゃの飛行機が大好きになった。飛行機の絵を描くと、JAMES3というサインをした。何故3という数字がつくのかと尋ねると、三番目だからだと答えた。ブルースには当時、その意味が分からなかった。ジェームズが悪夢にうなされる事は少なくなりつつあったが、飛行機のおもちゃを持つと、豹変して暴れる事もあった。

ジェームズは、GIジョーの人形で遊ぶのも好きだった。レオンとウォルターとビリーという名前もつけていた。ベッドで一緒に寝るほどお気に入りだった。

ある日ジェームズは、

「アメリカは昔、日本とケンカしていたんだよね。」

と語った。そして、ブルースが調べている書籍の父島を指差して、

「ぼくはここで一度死んだんだ」

と、語った。

またある時は、食事に初めてミートローフを出したところ、

「ミートローフか。懐かしいな。」と語った。

これはやはり、おかしい。

そこで、セラピストのキャロル・ボウマンのもとに再び相談に行く事にした。

キャロル・ボウマンによれば、子供は想像力がたくましいので、現実と夢との区別がつかなくなる事もよくあるが、

・突然の口調の変化

・話す内容の一貫性

・経験を超えた知識

の内、二つ以上の特徴があてはまる場合は、前世の経験を持っている可能性があるという事だった。そう考えないと説明がつかないケースがあると、キャロル・ボウマンは語った。

両親は前世の存在は全く信じていなかった。しかしジェームズの事は、前世の存在なしには説明がつかないように思えた。そして何より、自分達以外には、息子のジェームズの言う事を信じてやれる人は、いないと思った。友達から嘘つきのレッテルを貼られているジェームズを、弁護してやる必要があった。だから、我が子のために戦時中の記録を調べる事にした。

まず、ジェームズに、夢に登場する人物を聞いてみた。

ジェームズの名前と、ジャック・ラーセンという名前を語った。

ジャック・ラーセンはどういう人かと聞くと、「前の人」だと語った。

という事は、ジャック・ラーセンが、前の人=前世の名前なのだろう。そこで、アメリカ軍の戦没者名簿を調べてみる事にした。

ジャック・ラーセン

あった。死亡者リストにあった。このジャック・ラーセンを詳しく調べれば、何かが分るかも知れない。

コルセアについても調べた。

コルセアというのは、第二次世界大戦時に使用されたアメリカ軍の戦闘機F4Uコルセアの事だった。ナトマというのは、太平洋に配備された航空母艦CVE-62ナトマ・ベイの事だった。ナトマは、小型空母なので、一般的にはあまり知られていないのだが、乗組員は実際にナトマと呼んでいた事が分かった。

第二次世界大戦中のアメリカの海軍では、ミートローフが定期的に出されていた事も判明した。

ジャック・ラーセンについての情報収集は、困難を極めたが、ナトマベイ・アソシエーションという、ナトマの同窓会に参加できる事になった。そこでなら、有益な情報を得られるに違いない。

ところが、ナトマの同窓会に参加した人から得られた情報は、意外なものだった。

ジャック・ラーセンは生きていたのだ。

それではつじつまが合わない。しかし、ブレイスは、遠路はるばるジャック・ラーセンの元を尋ねた。何か手がかりが得られるかもしれないと思ったからだ。実はジャック・ラーセンは二人いたのだ。死亡した方のジャック・ラーセンは、無関係の人物だった。

ジャック・ラーセンは、こう語った。

当時彼のVC-81部隊で死亡したのは、レオン・コナー中尉、ウォルター・デブリン少尉、ビリー・ピーラー少尉。

ジェームズが3体のGIジョーの人形につけていた名前だ。

そして、もう一人。

ジェームズ・ヒューストン中尉。

奇しくも、ジェームズと同じ名前だった。ジェームズ・ヒューストン中尉は、1945年3月3日に帰還できなかった唯一パイロットだった。そう、彼こそ、ジェームズの前世に違いない。

ジェームズがジャック・ラーセンの事を「前の人」と言っていたのは、前を飛んでいる飛行機を操縦しているのが、ジャック・ラーセンという意味だったのだ。

また、ジャック・ラーセンは、生前ジェームズ・ヒューストンが、「祖父と父親の名前を受け継いだため、自分はJAMES3だ」と名乗っていた事実も明かした。

かなり有力な情報が得られた。しかしブルースは、もっと調べる必要があった。何故なら、ジェームズ・ヒューストンの最期の様子が分からなかったからだ。ジェームズ・ヒューストンは最後尾を飛んでいたため、他のパイロット達は、ナトマに帰還するまで、ジェームズ・ヒューストンの飛行機が打ち落とされた事に気が付かなかったのだ。その事に、息子のジェームズが、悪夢でうなされる秘密があるように思われた。

2004年8月のナトマの同窓会には、息子のジェームズも参加した。

ここでは、ジェームズ・ヒューストン中尉のお姉さん、アン・ヒューストン・バロンとも対面する事になっていた。

ジェームズは、彼女を見ると「アニー」と呼んだ。彼女は驚いた。ジェームズ・ヒューストンが彼女を呼ぶ呼び方と同じだったからだ。

更に、ジェームズにボブ・グリーンウォルトが近寄ってきたとき、ジェームズは、彼を「グリーンウォルト」と呼んだ。

ボブ・グリーンウォルトはビックリした。何故なら、ジェームズが彼の名前を知っているはずなどないからだ。

しかし、ジェームズは、

「もちろん知っているよ。随分年とっちゃったね。でも声は変わってないね」

と続けた。

そのボブ・グリーンウォルトからは、有益な情報を得る事ができた。

アン・ヒューストン・バロンが、コルセアの前でポーズをとる、ジェームズ・ヒューストンの写真を出した時、

ボブは、「懐かしいな、コルセアには随分泣かされたよ。」と、語った。実は、ジェームズ・ヒューストンがコルセアに乗っていた事は、歴史に埋もれた事実だった。記録上は、ジェームズ・ヒューストンはワイルド・キャットに乗っていた事になっていた。

ボブ・グリーンウォルトはジェームズ・ヒューストンらと共に、VC-81の前の部隊VF-301部隊でコルセア乗っていた。しかし、そのコルセアのテスト飛行が行われたのは、8ヶ月という短い期間だったので、当時必須とされていた年間記録にも記録されていなかった。ジェームズが2歳の頃から語っていた、コルセアに関するコメントは事実であり、どんな文献を探しても出てこない、テスト飛行をした人間にしか分からない感想を語っていた事が判明した。

一方、ジェームズ・ヒューストン中尉の最期の様子は、どの戦時記録にも見当たらなかった。そこで、目撃情報をネットで求める事にした。しかしそれは、到底望めない事のようにも思えた。なにしろ60年前の話だ。ところが、当時VC-81部隊を援護していたVC-83部隊のパイロット、ジャック・ダラムがコンタクトをとってきた。

彼によれば、ジェームズ・ヒューストン中尉の飛行機は、日本軍の対空機関砲の攻撃を受け、エンジン部分から火が出て、あっという間に火達磨になり、父島の二見港の海に落ちていったという事だった。

そして、ジェームズ・ヒューストン中尉にとっては、父島が最期のミッションであり、それが終われば家族の元に帰れる予定になっていた事もわかった。

これで、ジェームズ・ヒューストン中尉の最期が分かった。無念の思いが詰まった壮絶な最期だったので、悪夢として何度も再現される事になったのだろう。

その事がわかった頃には、息子のジェームズも、前世の事については話さなくなっていた。悪夢にうなされる事もなくなっていた。

だからこのまま、そのもうひとつの記憶を、そっとしておくという選択もあった。

しかし、まだわずかに前世の記憶が残っている今だからこそ、父島に行くべきではないかと、ブルースは思った。過去の記憶にケリをつけるのは、今だと思った。

だから一家は父島に向かい、ジェームズ・ヒューストンに鎮魂の意を捧げる事にした。

2006年9月。

そこには、アンビリバボーのカメラも同行した。

ブルースは事前に墜落現場を把握していた。父島に着くと、船で墜落ポイントを目指した。

ジェームズは終始笑顔だった。カメラの前でも、笑顔を振りまいていた。

折角ここまで来たものの、ジェームズに無理に何かを感じ取ってもらう事は無理かなと、ブルースは思った。

ところが、墜落現場付近に到着した時、ジェームズの表情が一変し、抑えきれない特別な感情が動いた。涙があふれ出た。

ブルースは、用意した花束をジェームズの手に渡した。ジェームズは、その花束を海に投げ入れた。「僕は絶対に忘れないよ。」と海に向かって叫んだ。そして父親の胸で泣いた。

こうして、一家の6年間の長い旅が終わった。ジェームズが悪夢にうなされる事は、もうない。愛する息子のために努力をした、家族の力があったからだ。

ジェームズに「将来の夢は」と聞くと、パイロットになる事だと答えた。

そして、目標はジェームズ・ヒューストン中尉だと言った。

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